「初恋ゾンビ」雑感(第96話「それぞれの色模様」)
「初恋ゾンビ」雑感(第90話「ハッピーエンドください」)
タロウは少しばかり朴念仁の面もとあるが、むしろ、イブにゾッコンで、他の女子は眼中にないといったところかな、少なくとも表面的には。
イブにあの衣装を着せたのは、間違いなくタロウである。タロウは、江火野さんとのシーンが頭から離れない、というのも当然あろう。だが、あのシーンをイブと演じてみたかったのではなかろうか。
しかし、イブにゾッコンにしては、いや、ゾッコンだからこそか、タロウ母があのシーンをPCで再生しようとすると、全力で回避しようとし、それはまるで浮気を見つかるまいとしているかのよう。こんなシーン、前にもあったような…
そして、ただ、イブが例のシーンを観ていない、ということの真実にいつ気付くか。
ナストが気にするから、というもっともらしい理由で件の画像の露出は避けられ、イブとデートする必要もなくなったが、イブの衣装を見てしまったタロウは、結局出かける。この姿を見たら、そりゃあ一緒に出掛けざるを得ないだろうと。
そして!デート先で、まさかのキスシーン!!未遂だけど。
この素晴らしい見開きページは、「初恋ゾンビ」始まって以来最高のシーンであることは、間違いない。ぜひカラーで見てみたい。
しかし未遂なのだ。
イブがタロウにリアルでキスできなかった理由は、タロウの方にしてみれば不意打ちで、平たく言えば「心の準備ができていない」状態だったからなのではなかろうか。
もしかすると、お互い本気でその気なら、触れることくらいはできたのかも知れない。
タロウは「べつにそれでもいいや」と思い、そして「いつかできたらいいのに…」と思う。これは現在のタロウの本心であろう。
では、これからは、イブを実体化させる方法を模索する、という流れもアリか??そしてそれ(実体化)は可能なのか?可能であったとして、実現したらそのときは???
この物語は、「初恋ゾンビとしてのイブ」という、実体のない存在をめぐる物語でもある。
そのためか、其処此処かしこで寂寞とした雰囲気が漂う。遊園地の回の観覧車での二人のシーンといい、今回のラストのコマといい…
ドタバタとした中に、フッと、こう、もの寂しげなシーンが現れる。イブとタロウが幸せそうにしているシーンが特に。
この雰囲気も、自分にとってのこの作品の魅力の一つだ。
ところで、しつこく「うる星やつら」との関連について。
以前も書いたが、イブと「うる星やつら」のラムが似ているな、と感じた瞬間から、脳内では、イブのセリフが平野文さんのラムの声で、そしてイブの「タロウ」というセリフが「ダーリン」に勝手に変換されてしまうわけだが(最近はラムというと別のキャラを指す場合が多いらしいが、私としては、ラムは圧倒的に「うる星やつら」のラムである、ちなみにレムは某ドリームハンター) 。
そう思ってみると、タロウのセリフは古川登志夫さん演じる諸星あたるで再生されて違和感ない。
ただ、タロウと諸星あたるは、性格的に、少しだけ違うけれど。
「うる星やつら」は、ラブコメの側面もあったけれど、基本はSF何でもあり系ギャグコメディであって、ラムとあたるの関係は、確かに軸にはなっているけれど、匂わせるだけで表面的にはあまり出てこない。
「初恋ゾンビ」は、「うる星やつら」のいわば「ラブ」の部分を抽出したような、そんな物語のようにも思えてしまう。
※少年サンデーコミックス「うる星やつら」第3巻PART9「君待てども」より
ともあれ、次回からは新展開とのこと、いろいろダイナミックな動きがあったわけで、期待大、である。
「初恋ゾンビ」雑感(第88話「白日の少女」)
ここ何回かの「初恋ゾンビ」は、ストーリーが一気に核心に迫ってきて、なかなかに目が離せない事になっている。(正直、少し前までの「指宿クン両親編」は、少々タルかった)
「初恋ゾンビ」雑感(第87話「あなたはどうして」)
これは、実質的には、こうなるだろうと。
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「初恋ゾンビ」雑感(第86話「今、精一杯」)
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少年サンデー連載「初恋ゾンビ」雑感
最近の週1の楽しみの一つである、少年サンデー連載の「初恋ゾンビ」、連休明けの最新話は、生徒会長選なのである。
で、タロウ達にとって最悪の人物である「みさを」が現状当確で立候補してしまい、「みさを」の当選を妨げるべく対立候補を探すのだが、その条件が「女の子の票が取れる、モッテモテの男の子」。
…って、そんな怪しげな奴(恋ヶ浦某)に頼まなくても、身近にいるでないの。他でもない指宿クンに立候補してもらえばいいじゃない、と、思わず考えてしまった。
だが、私としては生徒会長選も面白そうだが、それより何より、イブの変化の方が気になるわけで。
イブは、タロウの意思を離れ、自分の装いを自分で変えることができるようなった。自身の自覚なく。ますます一個の人格としての存在感を強固にしているわけだ。
一方、タロウにはイブがまだ見えている。ということは、取りも直さず、タロウの初恋の人が幼き頃の指宿クンであることを示している。しかしながら、いま、指宿クンが実はタロウの初恋の人であることをタロウが知ってしまったとして、タロウの心は指宿クンに向かうだろうか。
これは難しいのかもしれない。
つまり、イブが一個の人格としての存在感を強めるほど、その人格は、本体であったはずの指宿クンの人格との差異は広がっていく。いや、むしろ、イブが人格を獲得し始めたその頃から、イブは指宿クンの単なる 幻影ではなくなっている、といった方が正確かもしれないが。そして、イブはそれこそ四六時中、タロウと一緒に生活し、また、イブからのアプローチも極めて積極的である。
これに対して、指宿クンのアドヴァンテージは、実在の人間である点以外、今のところ思いつかない。
その上で、もし、タロウがイブに「触れる」ことができるようになったら、どうなるか、など、今後の展開の興味は尽きない。
ところで、特に最近のイブを見ていて、妙にもやもやする気持ちがあった(変な意味でなく)。デジャブというか、何となく懐かしいというか。
で、先日、フト、イブという存在は、私のラブコメ的人格(?)の源流である女性とイメージが重なるのだ、ということに思い当たったのである。その女性とは勿論、この人、もはや古典的傑作といえる「うる星やつら」のヒロイン「ラム」、である。
人格を獲得したイブは、電撃こそ出さないけれど、空中を漂う女生徒であり、タロウにも積極的である。この「空中を漂う女生徒」という設定は、異世界モノの作品ならともかく(うる星やつらも、半分くらい異世界が混じっている気もするが…)、高校生の日常を描いた作品では、珍しいのではなかろうか。あ、同じサンデーに連載の「境界のRINNE」も空中を女生徒?が漂っているな、奇しくもRINNEはうる星やつらと同じ高橋留美子先生の作品であるところがポイントか(何の?)。
イブがタロウのことを「ダ~リン」と呼んでも違和感無さそうだし、もし「初恋ゾンビ」がアニメ化した際には、イブのCVは、平野文さん演じるラム的な、少し舌足らずでクセが強い声優さんにやってもらいたいものである。
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「ど根性ガエルの娘]の件、雑感
Twitter界隈などで話題になった「ど根性ガエルの娘」について、まとめ記事などでの推奨(?)に従い、第15話を読み、第1話を読み、そして、田中圭一氏の「ペンと箸」(これはKindleにて購入)の吉沢やすみ回を改めて読んでみた。
「ど根性ガエルの娘」は、極めて大雑把に要約すると、崩壊家庭もので、吉沢やすみ氏の長女の大月悠祐子女史の視点で描かれている。一方、「ペンと箸」の件の回は、吉沢やすみ氏の長男、大月女史の弟である康宏氏の視点で描かれている。「ペンと箸」の方では、姉のことについては、一言しか触れられておらず、姿は描かれていない。「家族で賑やかに食べる」焼肉の行でも、姉の姿は描かれていない。
そこで思ったのは、この件で田中圭一氏も相当のリスクを背負ったな、と。
「ペンと箸」は、漫画界の大御所のご子息に取材を行い、親である漫画家さんとの間の話を、食の話題に絡めて描写するというもので、どの話もいい話的に纏められている。けれど、今回の件で、内容にかなりの欺瞞が含まれている可能性が明らかになってしまった。
つまり、「ペンと箸」の吉沢やすみ回が欺瞞であると明らかになってしまったため、他の回も、本当に額面通り信じていいのか、いい話として納得して読んでいていいのか、分からなくなってしまった。こうなってくると、一種のドキュメンタリとしての役割もあったはずの「ペンと箸」の価値も、あやふやなものとなってくる。
「ペンと箸」は、そういった、作家と家族との間のギスギスした関係を描くものではないと思うし、田中圭一氏が吉沢家の事情をどこまで知っているかも分からない。仮に知っているとしても、「ペンと箸」は、いい話的にまとめる必要があっただろうことは、十分に理解できる。
田中圭一氏は、図らずもババを引いてしまったのかもしれない。