私は何も考えない

人生詰んでるオヤジが、どうでもいいこと、いい加減なこと、つまらないこと、くだらないこと…を書き連ねるブログです。

TVアニメ「けものフレンズ」第4話まで、雑感

TVアニメ「けものフレンズ」。
当初、擬人化動物キャラと少女とが織りなす癒し系アニメに見えていたのも束の間、第1話の最後辺りから、そのダークでディストピア的な世界観が徐々に明らかになっていく、そんな作品。間違いなく、私の中での今期の覇権アニメである。
なおオリジナルはゲームだったようだけど、そっちの方は知らん。
 
現時点の放映分は第4話、全12話としてまだ全体の1/3程度であり、ストーリーとしてはようやく基本的な説明が終わったというところか。第4話では、非常にシビアな設定も明らかになった。
 
「けものフレンズ」は、メインの舞台であるジャパリパークが存在する世界とはどんな世界か、そして、かばんちゃんとは何者なのか、とか、第4話の時点では色々謎があるわけだが。
 
で、「けものフレンズ」内の世界について現時点での、自分なりのまとめを少々。
 
ジャパリパークは、非常に広大な土地をサバンナ、砂漠、ジャングル、…などの各気候に分けて管理し、それぞれ特有の動物を「フレンズ」と称して配置し、来場者に楽しんでもらうはずだった。
「はずだった」というのは、おそらくジャパリパークには、現在までの少なくとも数年間、もしかすると完成または開園以来、1人の来場者も訪れていない。つまり、フレンズたち(ツチノコ以外)が一様に人間のことを知らない、ラッキービーストが喋れることを、フレンズたちは知らなかった(ラッキービーストは、案内ロボットなので人間にのみ反応する)、これらのことから、ジャパリパークには、相当長い期間、人間の来場者が訪れたことが無かった、と判断できる。
ジャパリパークに来場者が訪れなくなってからどのくらいの年月が発ったか、というと、施設の荒れ方から想像するに、少なくとも10年、おそらくは更に長い年月が経過していると推測できる。
?…とすれば、多くのフレンズたちは、開園時に配置された動物の子孫ではないのか。だから人間に会ったことがない。一方、第4話で登場するツチノコは、伝説上の生き物でもあり、寿命が非常に長いと思われる。そのため、ツチノコは、開園時に配置された個体のままであり、それ故、かばんちゃんが人間であることにすぐに気付くことができたのではなかろうか。まあ、寿命といったら、カバなんかも結構長かったりするけれど…
 
時間の経過がそうだとして、「かばんちゃん」は、なぜ、突然ジャパリパークに出現したか。現時点での作中の表示では、かばんちゃんは、サバンナ地方にいきなり出現したとしか考えられない。もしくは、誰かに連れてこられたが記憶を失ったか。
かばんちゃんについては、他にも謎が多い。カバンの中身はなんだろう、とか、帽子に付いている「羽」は、もしかしたらジャパリパークの入場券とかアトラクション券ではないか、なぜアライさんたちは必死にかばんちゃんを追いかけているのか、とか。
 
サンドスターと、それが噴出する山。
第1話の最初で、サーバルは、「昨日噴き出たサンドスターで新しいフレンズが誕生した」みたいなことを話していた。
サンドスターは、動物たちを、二足歩行し人語を解する存在に変異させるものであるらしい。さらには、サンドスターは、フレンズの形態を維持する機能もあるかもしれない。
また、ラッキービーストによれば、サンドスターがジャパリパークの気候を制御しているとのこと(とんでもない技術である)。さらに、ラッキービーストは、サンドスターにはまだまだ謎が多い、と宣っているが、これは、ジャパリパークの運営側としての設定であろう。ラッキービーストに秘密をばらされちゃマズいからね。
 
では、サンドスターを噴出する「山」とは何か。
山は、おそらく、このジャパリパークの環境を維持するためのシステムの出力装置ではなかろうか。
つまり、ジャパリパークは、広大な、とはいっても、おそらくアフリカ大陸ほどの大きさがあるわけではなく、例えば富士の裾野を広げたくらいの規模ではないかと考えられる。ジャパリパークは、この規模の土地の気候を、区画ごとに制御していることになる。かの山は、その類の制御を行うためのインタフェース(出力装置)の一部をなしている可能性がある。
 
では、ジャパリパークの外の世界はどうなっているのか?
第4話のツチノコは、かばんちゃんを見て、「絶滅してなかったんだ」と呟くのだが、つまり、人類は絶滅していることになっている。
また、「異変」とは何か。
 
ジャパリパークが完成もしくは開園した直後、地球に天変地異が起こった、と想像してみる。天変地異は、例えば巨大隕石の衝突とか(これだとパーク内の施設も破壊を免れないかも)、急激な寒冷化とか、温暖化に伴う海面上昇で世界的な海洋面積の増大とか、その類。でも、これが異変だとすると、異変は作中の時間から随分以前に発生したことになってしまうが。ジャパリパークのシステムは、辛うじて機能を維持。システムは、気候を制御しているわけだから、ジャパリパークを保護するバリアであるとも言える。
 
では外の世界とは?
もし本当に人類が絶滅しているのなら、完全な廃墟、荒廃した世界となっていことは間違いあるまい。ジャパリパークの外ではサンドスターの影響が及ばないから、フレンズ化していない、野生動物たちの天下になっている可能性がある。おそらく、かばんちゃんは、ジャパリパークの本来の来場者である人間であるがゆえに、ジャパリパークから出ることができてしまう。アライさんたちは、それを阻止すべく、かばんちゃんを追いかけている、という解釈はどうか。
 
…とまあ、色々書いてみたけど、要するに、第5話以降が楽しみだし、サーバルちゃんは可愛い。

 追記:読み直すと少々矛盾する点があったので一部修正しました、まだまだ変なところがありそうな雰囲気ではあります(2/4 19:08)

けものフレンズBD付オフィシャルガイドブック (1)

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「ど根性ガエルの娘]の件、雑感

Twitter界隈などで話題になった「ど根性ガエルの娘」について、まとめ記事などでの推奨(?)に従い、第15話を読み、第1話を読み、そして、田中圭一氏の「ペンと箸」(これはKindleにて購入)の吉沢やすみ回を改めて読んでみた。

ど根性ガエルの娘」は、極めて大雑把に要約すると、崩壊家庭もので、吉沢やすみ氏の長女の大月悠祐子女史の視点で描かれている。一方、「ペンと箸」の件の回は、吉沢やすみ氏の長男、大月女史の弟である康宏氏の視点で描かれている。「ペンと箸」の方では、姉のことについては、一言しか触れられておらず、姿は描かれていない。「家族で賑やかに食べる」焼肉の行でも、姉の姿は描かれていない。

そこで思ったのは、この件で田中圭一氏も相当のリスクを背負ったな、と。

「ペンと箸」は、漫画界の大御所のご子息に取材を行い、親である漫画家さんとの間の話を、食の話題に絡めて描写するというもので、どの話もいい話的に纏められている。けれど、今回の件で、内容にかなりの欺瞞が含まれている可能性が明らかになってしまった。

つまり、「ペンと箸」の吉沢やすみ回が欺瞞であると明らかになってしまったため、他の回も、本当に額面通り信じていいのか、いい話として納得して読んでいていいのか、分からなくなってしまった。こうなってくると、一種のドキュメンタリとしての役割もあったはずの「ペンと箸」の価値も、あやふやなものとなってくる。

「ペンと箸」は、そういった、作家と家族との間のギスギスした関係を描くものではないと思うし、田中圭一氏が吉沢家の事情をどこまで知っているかも分からない。仮に知っているとしても、「ペンと箸」は、いい話的にまとめる必要があっただろうことは、十分に理解できる。

田中圭一氏は、図らずもババを引いてしまったのかもしれない。

 

ど根性ガエルの娘 (1)

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田中圭一の「ペンと箸」: -漫画家の好物- (ビッグコミックススペシャル)
 

 

 

 

ブレイブウィッチーズ、第11話、ああなるほどね

ブレイブウィッチーズ第11話、ストーリーも大詰めを迎えつつある。

姉・孝美との勝負に僅差で負け、ひかりは502隊を去る。ここまでは第10話の内容かな。この回は、なかなかいい話であった。

そして、第11話、502隊は、ネウロイの巣、グレゴーリを攻略すべく奮戦するが、グレゴーリの変則的なコアに翻弄され、攻略が困難な状況に。そこで、雁淵ひかりの姉・孝美は、力は強大だが危険な技「絶対魔眼」を使おうとグレゴーリに接近する。

雁淵ひかりは、そんな状況を、スオムスで迎えに来てくれたエイラ、サーニャの用意した無線機で傍受し、姉の危険を察する。

ひかりは、列車から飛び降り、孝美の下へ向かおう走る。

しかし、孝美は上空、ひかりは地上、ストライカーユニットは無し、どうするか。

ここまでが第11話の内容。

次回(最終回?もう1回あるか?)は、ひかりが孝美の下に駆けつけ(駆けつける、ってのも変な表現だが)、自身の接触魔眼でグレゴーリのコア位置を特定し、孝美がフィニッシュ、という流れになることが予測されるわけだが…

山場はやはり、ひかりがユニット無しでどうやって上空の孝美の場所まで辿り着くか、になると思われるが、これはもう、

これしかなかろう。あの坂本少佐も「ウィッチに不可能はない!」と仰ってるわけだし。

これが感動シーンになるか、はたまた大爆笑シーンになってしまうか、は、演出次第だと思うが、私は期待している。

しかしこれで、雁淵ひかりの、疲れを知らないタフネスさ(孝美のいる場所まで地上を走り抜く、地上から上空へ駆け上がる)と、ロスマン先生による壁登りの特訓(少ない魔力を如何に有効に活用するか)が、全体のストーリーに繋るわけなのだな。

余談だが、かんたんマンガ作成ツール「コミPo!」を持っていたことを思い出したので、上の空中歩行を4コマで解説してみた。

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まあ、何といいますか、自分には漫画の才能は皆無だなと、しみじみ思ってしまうわけで。イラストとか描けないので、雁淵ひかり役をコミPo!付属のキャラ・小石川美保さんにお願いしています。

 

コミPo! [ダウンロード]

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ブレイブウィッチーズ SDアクリルキーホルダー BOX

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ブレイブウィッチーズ ぴたコレ ラバーストラップ (BOX)

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ブレイブウィッチーズ、第9話まで観たので感想書いてみる

ブレイブウィッチーズ、第9話まで観た。全12話としてあと3話、ストーリーも佳境に入り、不穏な雰囲気が立ち込めている。

因みに私は、この作品の前作ストライクウィッチーズは、1期、2期、劇場版、OVA3作を観て、また、それぞれBDを購入、さらに501統合戦闘航空団の11人のメンバーのフィギュアをとりあえず1体ずつ所有する、まあ中程度のファンである。

前作を一通り観ているので、どうしても比較になってしまうのだが、ブレイブウィッチーズは、ストライクウィッチーズと比べて「物足りない」。ストライクウィッチーズが神作品過ぎたということもあるだろうが、ブレイブウィッチーズはノリが悪すぎる。

原因は色々考えられる。

が、最大の原因は、「主人公が不在である」ということであろうと思う。

公式では、雁淵ひかりが主人公であることになっているが、この主人公、どうにも主人公らしい活躍をしてくれない。それはそうだろう、魔法力が低く、固有魔法も危険だからという理由で封じられ、戦闘に対する先天的な才能も無い。

ストライクウィッチーズの主人公の宮藤芳佳は、バカの一つ覚えみたく「守りたいんです!」を繰り返し、それが宮藤の強烈な個性となり、さらには、物語の軸になっていた。ところが、本作の主人公である雁淵ひかりには、このような突き抜けた部分が希薄で、あるのは体力だけである。ウィッチの戦闘においては、体力は余り重要ではないのであろう、この点が強調される場面は少ない。

このように、主人公に物語を牽引する力が足りないので、作品が物足りなく感じるのではないか。ただ、まだ3話ある、その3話で雁淵ひかりが化ける可能性に期待しようと思う。

さらに、各キャラの掘り下げが足りない気がする。…というより、各キャラが個性に乏しいという方がこの場合正しいと思われる。あ、クルピンスキー中尉は面白いと思うし、菅野直枝中尉は主人公と見紛うばかりの活躍だ、…というか、もう菅野中尉が主人公でいいのでは、とまで思ってしまう。

つまり、主人公であるはずの雁淵ひかりの能力に制限をかけすぎたために、当の雁淵ひかりを動かしづらくなり、それで物語全体の勢いが削がれていると感じる。

さらに、502統合戦闘航空隊は、501隊に比べて戦力的には劣っている設定なのかな、戦闘について突出したメンバーが居ないように見える。だから派手な戦闘シーンを作りづらい。また、501隊のエーリカやルッキーニのように周囲をかき回す役どころのキャラも居ない。これらのため、自然と各キャラの動きが地味になり、これも、ストーリーが平坦になってしまっている一因なのだろうと思う。

このシリーズは好きな作品であるので、是非、がんばって欲しい。

あと3話、どのような展開となるか…

 

 

 

 

 

 

少年サンデー連載「初恋ゾンビ」の奇妙な三角関係

最近、少年サンデーが元気である。少年サンデーらしい読み応えのある作品が増えてきた。特に、少年サンデーの十八番であるラブコメものは、「天野めぐみはスキだらけ」と「初恋ゾンビ」という大きな力を得て、パワーアップが著しい。

「天野めぐみはスキだらけ」は、ヒロインの天野めぐみの可愛さを前面に押し出した、割とシンプルな構造のストーリーであるのに対し、「初恋ゾンビ」は、一筋縄ではいかない構造となっていると思う。

初恋ゾンビ」の主人公、久留米タロウは、初恋ゾンビすなわち”男性の初恋の相手が実体化した存在”が見える体質であり、タロウ自身の初恋ゾンビは、自分の記憶に無い姿の「イブ」。実はイブは、タロウが幼少の頃好きになりキスまでしようとした(このマセガキが!)、指宿の現在の(本来の?)姿である。

一方の指宿は、このキス未遂事件の際に初恋ゾンビが見える体質となってしまう。そして、親の都合で海外に行き、10年ぶりに、タロウへの当時の気持ちを引きずったまま、日本に帰国、男装して高校でタロウと同じクラスに編入される。

ここで重要なのが、タロウ自身の初恋ゾンビが指宿の(本来の)現在の姿であり、また、指宿がタロウへの想いを引きずったままだ、という点である。そして、タロウは、(男装の)指宿が過去の初恋の相手であることに気付いていない。

さらに、初恋ゾンビは、本来自我を持たない存在であるはずなのに、タロウの初恋ゾンビであるイブは、自我を持つようになってしまっているのである。これは、タロウ自身が初恋ゾンビを見える体質であることが関係しているか、は分からないが、自我を持ったイブは、タロウを好きであることは間違いない。

そして、目出度く、指宿-タロウ-イブの、奇妙な三角関係の誕生である。何が奇妙かというと、イブ=指宿なのだが、その一方で、自我を持ったイブ≠指宿である点だ。

この三角関係を象徴するエピソードとして、第39話「波乱な夏の始まり」がとても良い。 

この第39話、そしてその前の第38話では、タロウ、指宿を含めたメンバーが遊園地に行く、そのメンバーには、タロウの幼馴染でタロウに対する気持ちはある(ぽい)が本人はそのことに気付いていない江火野芽衣もいる。江火野はホラー系が苦手らしく、それ系(お化け屋敷)では常にタロウに引っ付きっ放し。

最後に、二人ずつペアになって観覧車に乗ろうということになる。

ここで、タロウは「1人で乗りたい」と。

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江火野は、タロウと乗れるものと思っていたようだが、それは違う。その理由は、指宿が一番分かっている。

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このシーンの指宿は、とても寂しそうである。

そして、江火野と同席した指宿は、こう呟く、「ボクの”思い出”は手強い」と。

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この言葉は誰に言った言葉か。江火野か?…違うだろう、この言葉は他でもない指宿が自分自身に言った言葉であろうと思う。何しろ、自分の恋敵が、過去の自分がタロウの中で理想化された現在の自分であるのだから。しかもその存在がほぼ実体に近い形で存在し、且つ、自我を持っているとしたら?

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タロウはイブのことを気にかけ、そして二人きりの時間が欲しいと思っていた。普通にデートだし、二人は、周囲から見たら(もし見えたら、だが)、恋人同士に見えるだろう。

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このシーンのイブの幸せそうな表情、涙が出るほどいい。

そしてこれ。実に幸せそうな二人。でも、夕暮れの演出も相まって、どこか儚げ。

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さて、イブは、タロウの初恋の相手である指宿の現在を理想化した姿である。人格までは分からないが、もしかすると、自我を得たイブの人格もそうなのかも知れない。

では、タロウが過去の出来事を思い出し、イブ=指宿であると認識したとき、タロウには、過去の指宿に対する感情が蘇るのであろうか?…イブがはっきりとした存在を示している現状では、タロウは過去の指宿に対する初恋の感情を忘れていないと考えられる(忘れられた初恋ゾンビは徐々にその存在を失う)。

いや、本当にそうだろうか。イブがタロウに認識され、イブが自我を持ち、そのイブをタロウが意識しているとすれば?

ここで、「初恋ゾンビ」は、その宿主の男性の初恋の女性に対する初恋が成就すると、消えてしまう。ならば、タロウが、初恋と思っていた相手が現在の指宿であることを認識し、タロウが現在の指宿と恋愛関係に落ちれば、イブは消えてしまうことになる。

これは、タロウにとって享受できる状況であるか、いやそもそも、過去の指宿に対する感情と、現在のイブに対する感情と、どちらが深いか。イブが消えてしまって本当に良いのか。

この指宿-タロウ-イブの三角関係は、何処に着地するのか。

初恋ゾンビ」のストーリーの結末は、この辺りの話になるだろうし、実際にどうなるかは勿論、作者のみぞ知る。現実の指宿が「指宿+イブ」みたいな存在となるかも知れないし。

最新話あたりでは江火野(あの強気そうな眉毛がいい)の存在も前面に出てきているし、今後の展開を期待するのである。

 

 

 

初恋ゾンビ 4 (少年サンデーコミックス)

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「Re:ゼロから始める異世界生活」を観て、ふと思った

2016年春季~夏季と何かと話題を呼んだTVアニメ「Re:ゼロから始める異世界生活」(以下、リゼロ)であるが、いよいよ次回が最終回である。

中盤辺りからウザさ満開の主人公、スバルも、ここへ来てやっと主人公たる活躍を見せてくれている。まだ色々と謎を残していそうだが(ロズワールが何をやっていたのか、とかね)、それらが最終回で回収されることを期待する。

ところで、この物語の中心には、スバルの「死に戻り」の能力があるわけだが、これは、とてつもない能力なのだ、と思う。いや勿論、時間移動自体がとてつもない能力なわけだが、そういう意味ではなく。

この辺の考察はいくらでもありそうだが、それはまあ置いておいて、「死に戻り」能力は、時間移動のカテゴリに入れられると思うのだが、そう考えると奇妙な点がある。

スバルは、死ぬと、「死に戻り」の能力によって時間が過去のある時点に巻き戻される。リゼロの世界では、このとき、スバルが存在していた世界の全ての存在の時間が過去に巻き戻される。つまり、スバルの死は、スバルが存在していた世界全体の時間を巻き戻す。それ故、スバルは、「死に戻り」により学習することで、周囲の人達を救うことができる。これは、このリゼロの世界の時間軸が1本であることを意味している。

そうでない場合、すなわち、リゼロの世界の時間軸が所謂パラレルワールドであり、「死に戻り」したスバルが別の可能性の時間軸に移動したとも考えることもできる。

しかしこの場合、スバルが死んだ後の世界は、死屍累々、スバルは誰も助けられなかったことになる。いや、それに留まらず、スバルは「死に戻り」により同じ人物を何回も死に追いやってしまうことになる。つまり、スバルは、誰も助けられなかった世界を何度も繰り返すわけだ。

スバルは、「死に戻り」で経験した全ての出来事を記憶しているわけだから、これはかなりキツいのではないかと(こういう鬱結末もアリかもしれないが、私は期待していない)。

だから、物語的には(鬱結末を避けるならば)、リゼロの世界の時間軸が1本で、スバルの死は、世界全体の時間を巻き戻す、でなくてはいけないと考える。

リゼロの世界では、スバルの「死に戻り」の能力が有効である限り、スバルが死んだ以降の時間は、存在しないということだ。(9/16追記)

換言すれは、この場合、リゼロの世界はスバル1人の命に掛かっているわけで、スバルの「死に戻り」能力は、リゼロ世界の最も強力な能力ではないかと思うわけだ。

「死に戻り」の能力を持った人物が複数、リゼロの世界に存在する場合どうなるか、というのも気になるが、これは時間があったらということで。

なんだかまとまりがないが、もう眠いのでこれで。

 

 

 

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