少年サンデー連載「初恋ゾンビ」雑感
最近の週1の楽しみの一つである、少年サンデー連載の「初恋ゾンビ」、連休明けの最新話は、生徒会長選なのである。
で、タロウ達にとって最悪の人物である「みさを」が現状当確で立候補してしまい、「みさを」の当選を妨げるべく対立候補を探すのだが、その条件が「女の子の票が取れる、モッテモテの男の子」。
…って、そんな怪しげな奴(恋ヶ浦某)に頼まなくても、身近にいるでないの。他でもない指宿クンに立候補してもらえばいいじゃない、と、思わず考えてしまった。
だが、私としては生徒会長選も面白そうだが、それより何より、イブの変化の方が気になるわけで。
イブは、タロウの意思を離れ、自分の装いを自分で変えることができるようなった。自身の自覚なく。ますます一個の人格としての存在感を強固にしているわけだ。
一方、タロウにはイブがまだ見えている。ということは、取りも直さず、タロウの初恋の人が幼き頃の指宿クンであることを示している。しかしながら、いま、指宿クンが実はタロウの初恋の人であることをタロウが知ってしまったとして、タロウの心は指宿クンに向かうだろうか。
これは難しいのかもしれない。
つまり、イブが一個の人格としての存在感を強めるほど、その人格は、本体であったはずの指宿クンの人格との差異は広がっていく。いや、むしろ、イブが人格を獲得し始めたその頃から、イブは指宿クンの単なる 幻影ではなくなっている、といった方が正確かもしれないが。そして、イブはそれこそ四六時中、タロウと一緒に生活し、また、イブからのアプローチも極めて積極的である。
これに対して、指宿クンのアドヴァンテージは、実在の人間である点以外、今のところ思いつかない。
その上で、もし、タロウがイブに「触れる」ことができるようになったら、どうなるか、など、今後の展開の興味は尽きない。
ところで、特に最近のイブを見ていて、妙にもやもやする気持ちがあった(変な意味でなく)。デジャブというか、何となく懐かしいというか。
で、先日、フト、イブという存在は、私のラブコメ的人格(?)の源流である女性とイメージが重なるのだ、ということに思い当たったのである。その女性とは勿論、この人、もはや古典的傑作といえる「うる星やつら」のヒロイン「ラム」、である。
人格を獲得したイブは、電撃こそ出さないけれど、空中を漂う女生徒であり、タロウにも積極的である。この「空中を漂う女生徒」という設定は、異世界モノの作品ならともかく(うる星やつらも、半分くらい異世界が混じっている気もするが…)、高校生の日常を描いた作品では、珍しいのではなかろうか。あ、同じサンデーに連載の「境界のRINNE」も空中を女生徒?が漂っているな、奇しくもRINNEはうる星やつらと同じ高橋留美子先生の作品であるところがポイントか(何の?)。
イブがタロウのことを「ダ~リン」と呼んでも違和感無さそうだし、もし「初恋ゾンビ」がアニメ化した際には、イブのCVは、平野文さん演じるラム的な、少し舌足らずでクセが強い声優さんにやってもらいたいものである。
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「けものフレンズ」が人気な理由って、やっぱり…
「けものフレンズ」のネタ、連チャンである。最近こればっかりだ。
何でも巷で大人気らしいが、一部のコアな人達に受けているだけのような気もする。
「なぜ大人気なのか」という記事も頻繁に目にする。そこで、私も便乗してみようかと。
しかしだな、「けものフレンズ」が人気な理由は、そんなに深く考えるようなものでもないという気もするわけで。
私が思うに、「けものフレンズ」の人気の理由は、「適度なユルさ」、「分かり易い展開」、そして、「謎めいた世界観」。この3点に尽きる。
まず「適度なユルさ」。これは説明の必要すらないだろう。とにかくフレンズたちは、概ねのんびりしているし、あまり色々なことを考えず、好戦的でもない。あ、第6話のライオンとヘラジカは少し違うか。でも、彼女らにしても、怪我をするほどの戦いは望んでいない。
何にせよ、フレンズたちは、見かけは人間に近いけれど、中身はより動物に近い。この「見かけは人間に近いけれど、中身はより動物に近い」というコンセプトは、アニメでは実は新しいのではなかろうか。だから、フレンズたちは人間のように小賢しい策を弄したりはしないし、狩りも「狩りごっこ」なのである。優しい世界であり、癒やしの時空である。
次に「分かり易い展開」。これは、前にも書いたが、作品のストーリー展開がRPG仕立てであり、何かのはっきりとした課題(クエスト)を解決しつつ、ストーリーが進んでいく。これが非常に明確に表現されていて、ストーリーを理解容易で、観ているものが混乱することがない。
そして、「謎めいた世界観」。作中の世界がどのようなものか、いろいろ考察をしている人も多いと思う。つまり、作中に隙を作り、手掛かりを散りばめておき、考察できる余地を設けておく。考察は、正解に達しなくても良い。考察することが楽しいのだから。
この「謎めいた世界観」と上述の「適度なユルさ」とが同居している作品は、案外少ないのではなかろうか。
私もそんなに多くのアニメを観ているわけではないので、確証はないが、「謎めいた世界観」で最初に思い浮べたのは「魔法少女まどか☆マギカ」である。しかし、「魔法少女まどか☆マギカ」は、決して緩いストーリーなどではなかった。
「適度なユルさ」の作品は、私はあまり観ないのだが、咄嗟に思い浮べたのは「キルミーベイベー」や「ゆるゆり」などである。しかし、これらの作品に「謎めいた世界観」は存在しない。…いや、「キルミーベイベー」は謎めいているといえば謎めいているが、ギャグアニメでもあるし、考察の対象となるような謎ではない。
上記の3点を備えたアニメは、過去には意外と無かったのではないかな。
ただ、「けものフレンズ」はまだ第6話が終了した段階であり、1クールをあと半分残している。第7話ではストーリーの大幅な展開が予測できるし、今後どのような路線となるかは、制作者のみぞ知る。
…ということで、第7話を楽しみにあと何日かを生きていくのである。
「けものフレンズ」について、さらに妄想してみた
TVアニメ「けものフレンズ」第4話まで、雑感
追記:読み直すと少々矛盾する点があったので一部修正しました、まだまだ変なところがありそうな雰囲気ではあります(2/4 19:08)
「ど根性ガエルの娘]の件、雑感
Twitter界隈などで話題になった「ど根性ガエルの娘」について、まとめ記事などでの推奨(?)に従い、第15話を読み、第1話を読み、そして、田中圭一氏の「ペンと箸」(これはKindleにて購入)の吉沢やすみ回を改めて読んでみた。
「ど根性ガエルの娘」は、極めて大雑把に要約すると、崩壊家庭もので、吉沢やすみ氏の長女の大月悠祐子女史の視点で描かれている。一方、「ペンと箸」の件の回は、吉沢やすみ氏の長男、大月女史の弟である康宏氏の視点で描かれている。「ペンと箸」の方では、姉のことについては、一言しか触れられておらず、姿は描かれていない。「家族で賑やかに食べる」焼肉の行でも、姉の姿は描かれていない。
そこで思ったのは、この件で田中圭一氏も相当のリスクを背負ったな、と。
「ペンと箸」は、漫画界の大御所のご子息に取材を行い、親である漫画家さんとの間の話を、食の話題に絡めて描写するというもので、どの話もいい話的に纏められている。けれど、今回の件で、内容にかなりの欺瞞が含まれている可能性が明らかになってしまった。
つまり、「ペンと箸」の吉沢やすみ回が欺瞞であると明らかになってしまったため、他の回も、本当に額面通り信じていいのか、いい話として納得して読んでいていいのか、分からなくなってしまった。こうなってくると、一種のドキュメンタリとしての役割もあったはずの「ペンと箸」の価値も、あやふやなものとなってくる。
「ペンと箸」は、そういった、作家と家族との間のギスギスした関係を描くものではないと思うし、田中圭一氏が吉沢家の事情をどこまで知っているかも分からない。仮に知っているとしても、「ペンと箸」は、いい話的にまとめる必要があっただろうことは、十分に理解できる。
田中圭一氏は、図らずもババを引いてしまったのかもしれない。