今更の「涼宮ハルヒの消失」
久し振りに劇場版「涼宮ハルヒの消失」を観てみたくなった。
とはいっても、本作は2時間42分の大作、平日夜に遅く帰ってきて「ちょっと観てみよう」で観る訳にはいかない。こういう長丁場の映画を観るには、時間の余裕は言うに及ばず、それなりの気持ちの準備が必要である。
そこで、平日夜は、気持ちを盛り上げるため、また、復習の意味も兼ね、関連しそうなTVシリーズ版のハルヒも観る。
TVシリーズ版で観たのは、「笹の葉ラプソディ」、「射手座の日」、「サムデイインザレイン」、「孤島症候群」の5本。
「笹の葉ラプソディ」は、劇場版の前提なので、とにかく観ておく。
「孤島症候群」は、特に長門が目立つわけではないが、キョンの声で部屋のロックを外すシーンでの長門の描写がとても良く、長門のキョンに対する態度がよく表現されていると思うのだ。
それにしても、アニメ版のハルヒを観るのは久し振りなのだが、長門ってこんな顔だっけ?最近はスピンオフなどで接する方が多かったので、却って違和感があったりする。
もとより、「涼宮ハルヒ」シリーズは、主人公はキョンで、ハルヒはメインヒロイン、という位置づけだったと思うが、私としては、ハルヒは本作のヒロインではあるけれど、どちらかというと、狂言回しに近い役割ではないかと思っている。
それが、「消失」劇場版ではさらに加速され、ハルヒは文字通り「消失」してしまうし、キョンすら狂言回し的な位置づけとなっているように見える。そして、メインヒロイン=主人公は紛れも無く長門なのである。
で、「消失」劇場版を観るわけだが、今回は、長門視点で観てみようと思ったわけだ。…とは言っても、長門とは性別は違うし年齢も親子ほど離れている。長門に感情移入できるとはとても思えないので、その時々の長門の気持ちを推し量りながら観る、ということになるが。
そんなスタンスで観ているにも関わらず、観ていて、胸が詰まりそうになる。
改変された世界で、一人、文芸部室でひたすら本を読み続ける長門。おそらく、図書館で図書カードを作ってくれたキョンのことを想いつつであろう。
キョンと帰り道を同じくし、自室へと誘う長門。食事を一緒にしていって欲しいと乞う長門。長門は、キョンと一緒にいたいと願っている。しかしそれは、キョンに入部届を返された瞬間に夢敗れる。改変世界の長門は、実質的には、キョンに振られたわけである。
そして、修正プログラムが塗布された短針銃を、世界を改編しようと現れる長門自身に打ち込みに赴くキョンに、時空震バリア?を甘咬みで施す長門は、何を思うのか。
そして、ラストの病院の屋上での2人のシーン。私が同年代の女子でこれを観ていたら、泣き出してしまうのではないか。
長門は、特に改変世界前の長門は、自身のキョンに対する感情というものを理解していたかどうか、疑問である。それは、傍目からは、はっきり恋愛感情なのであるが、長門自身、「恋愛」という概念を理解していたかどうか。長門は、自身の、キョンに対するなんだかモヤモヤする感覚が何に由来するものか分からず、戸惑っていたに違いない。
このあたり、要するに「コンピュータは感情をプログラムすることができるか」という古典的な問題、さらには、「感情とは何か」という言わば哲学的ともいえる問題になると思われ、それは私の手に負えるシロモノではないが、少なくとも長門は、情報としての数値化された恋愛感情は持っていると思うが、それを自分のものとして受け止めきれていない、そう思う。
それが故に、観ている側は、長門が自分の気持をキョンにぶつけることができない様子をもどかしく思い、それを「伝える……ありがとう…」のとても(表面上は)控えめな言葉に見出し、とてつもなく切ない気持ちにさせられる。
改変前の長門は、そういった点での自己の限界を認識し、それで、全てを一からやり直す形で、世界を改変したのであろうと思う。
…とまぁ、拙い文ではあるが、私の「涼宮ハルヒの消失」関する感想は、こんなところで。
アニメの続編は、もうやらないと思うけれど、「雪山症候群」は観たいかな。
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